Antoine-Auguste Parmentier(1739-1813)
アントワーヌ=オーギュスト・パルマンティエ
「パパス」または「パタート」の名で呼ばれていた
南アフリカ原産のじゃがいもは、
他国に比べてフランスでは普及が遅れていた。
初めに1535年頃、スペインに伝わって、
イタリア、スイス、ドイツに伝わっていった。
しかし、フランスで受け入れられなかった。
じゃがいもの形が嫌われたり、味が薄く単品では好まれなかった。
庶民には、肉も、塩も、油も買うことが難しく
当時の一般的調理方法がフライが主流で
食の習慣を変えることが難しく、障害となっていた。
ちょうど飢餓が慢性化していた時で貧しい庶民にはパンも買えない有様だった。
その代替え食としてパルマンティエは庶民を救うべくじゃがいもの普及に一生を捧げた。
国王ルイ16世よりパリ郊外のサブロンとグルノーブルの土地賜った。
ここにじゃがいもを植えて、昼は大げさに看守の見張りをつけた。
夜にわざと警備を外してじゃがいも泥棒を見ぬふりをした。
国王は、人民の食料として役立つと分かり、
じゃがいもの花束を宴席で飾らせたり、
じゃがいものメニューを作らせ供させたりした。
王の食事を真似するようになって普及し始めた。
じゃがいも伝道師。不屈の精神の持ち主だ。
<パルマンティエの名前の付いた料理>
アッシェ・パルマンティエ(Hachis Parmentier)
フランス家庭料理で、牛挽肉とマッシュポテトの重ね焼き。
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