2012年3月22日木曜日

フランス料理の歴史 ~パリ、最初のカフェ。そして、流行。

フランス料理の歴史 ~パリ、最初のカフェ。そして、流行。

カフェ café (仏) 発音 kafe カフェ *パリ周辺で キャフェ 
①コーヒー 
②コーヒーなどを出す飲食店
喫茶したり、食事したり、新聞を読んだり、読書したり、談笑したりする社交場となっている。
世界各国、コーヒーの提供場所のコーヒー・ハウス、カフェ、カフェーなどは近代、知識人や文学、美術などさまざまな分野の芸術家の集う場所として、文化的にも大きな役割を果たしてきた。

フランチェスコ・カペッリ(Francesco Capelli)通称「プロコピオ」(Procopio)
シチリア、パレルモ出身

1674年ルイ14世、17世紀末 、彼は、貴族と才人達のための場所として、  パリ最初のカフェ をトゥールノン通りカフェ・プロコープ」を開いた。
10年後、1684年フォセ・サン・ジェルマン通り(現在のランシエンヌ・コメディ通り)エトワール球技場の向かいに店を移転させました。


この頃は、殆ど家に閉じ込められていた女性達がこのカフェ「カフェ・プロコープ」への出入りだけ認められていた。この時代においては非常に斬新なことである。 カフェには女性客がいるということによって、パリ中の注目の場所となっていった。


また、このカフェと言う場所で出されるものも最先端をいっている。
今でこそ、ごく当たり前ではあるが、当時としては珍しかったり、流行の飲み物だったりする。
コーヒー 、紅茶、チョコレート、 甘いリキュール、 シロップ、 菓子、果物の砂糖漬け、冷たい飲み物、ソルベ sorbet(仏語)(英語シャーベット)が出されていた。
*当時、ソルベのスペルはアラビア語のshorbetと書かれていた。



電気も冷凍・冷蔵庫も無い時代に氷やシャーベットを出していたことは驚きです。
ラ・カンティーヌという人物がその方法を解説している。
氷に塩を加えて、上にリキュールをいれた容器を置くと氷らせることができる。
この方法で、オフィシエ・ド・ブーシュ(Officier de bouche   食膳係)は、冷菓、人工雪を真夏でも作り出した。
*貯蔵庫「グラシエール」と呼ばれるもの。
真冬に、深い大きな穴の中に氷をしまって石、土で覆い塞いでおくと真夏まで貯蔵できる。



カフェ成功の理由は?

プロコピオ。彼にはインテリアと優雅なセンスがあり、
店の大理石の丸テーブル 、水晶のシャンデリア、大鏡と豪華さが
エリート達を虜にしておりました。
*ルイ14世がフランスのリュイリーに鏡の工場を開いて大鏡を生産しょうとしていました。
 とてもアイデアマンだったと思われる。
最先端の流行の飲み物、食べ物を出していた。
カフェの店内にニュースを貼り出したことによって、
話題、情報交換、議論が盛んに行われる場所となっていった。



「カフェ・プロコープ」 の近くに劇場があり、芝居終了後には、作家、俳優が、芝居の観客、貴族、ブルジョワの金持ち達で賑わいを見せていた。
カフェは、パリ中の熱狂と化していき、1721年には、パリで300軒近い多様なカフェがあった。
18世紀末、総裁政治時代は2000件を超えた。


「カフェ・プロコープ」 は名実ともに、初の文学カフェとなり、
文学・思想家達の集いの場であった。
ヴォルテール、ディドロ、ダランベール、モンテスキュー、ルソー、モンマルテルなどが来店していた。

<人物>
ヴォルテール(Voltaire, 1694年11月21日 - 1778年5月30日)は、啓蒙主義を代表するフランスの多才な哲学者、作家。
ドゥニ・ディドロ(Denis Diderot, 1713年10月5日 - 1784年7月31日)は、フランスの啓蒙思想家・作家。
ジャン・ル・ロン・ダランベール(Jean Le Rond d'Alembert、1717年11月16日 - 1783年10月29日)は、フランスの数学者・物理学者・哲学者。百科全書派知識人の中心者。
シャルル=ルイ・ド・モンテスキュー(Charles-Louis de Montesquieu, 1689年1月18日 - 1755年2月10日)は、啓蒙期のフランスの哲学者・政治思想家である。
ジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau, 1712年6月28日 - 1778年7月2日)は、スイス生まれの哲学者・政治哲学者・教育思想家・作家・作曲家。単なる純理論にとどまらない、多感さを反映した著作は広く読まれ、フランス革命やそれ以降の社会思想にも多大な精神的影響を及ぼした。


文学カフェに於いて、彼らが情報、意見交換をすることによって、
世界について考え、君主制を倒すことになる革命思想を芽生えさせることとなっていきました。
*1702年、プロコープの所有は、ドゥビソン氏に移り、店名はシンボルとして名を残す事となりました。




大革命時代になると、ダントラン、マラー、ルジャンドル、デムーラン、ファーブル・デグランティーヌなどがカフェの常連客としていた。
<人物>
ジャン=ポール・マラー(Jean-Paul Marat、1743年5月24日 - 1793年7月13日)はフランスの革命指導者。医師。革命勃発後、山岳派に加わり恐怖政治を推進した。
アドリアン=マリ・ルジャンドル(Adrien-Marie Legendre, 1752年9月18日 - 1833年1月10日)はフランスの数学者。統計学、数論、代数学、解析学で様々な功績を残した。
カミーユ・デムーラン(Lucie Simplice Camille Benoist Desmoulins、1760年3月2日 - 1794年4月5日)は革命派のジャーナリスト



1721年、モンテスキューがこう残しているそうです。
「もし私がこの国の統治者だったら、カフェなど閉めてしまうだろう。
なぜなら、ここに集まっている人々は頭に酷く血が上っている。
居酒屋で酔っ払わさせておくほうがずっとましだ。
少なくても、酒に酔っ払っても自分にしか害を及ぼさない。
しかし、カフェで議論に酔っぱらった連中は、
国の将来にとって危険なものとなる。」


フランス料理の歴史 ~レストランの始まり

旧体制下では、レストランと言えるある限りの様々な調理法で作った料理を食べさせる店はなかった。


数多くのオーベルジュ、タヴェルヌがあり、一般大衆の客層に限られていた。


オーベルジュ Auberge 宿屋兼料理屋
タヴェルヌ Taverne 居酒屋、飲み屋、料理屋
カバレ Cabaret 居酒屋 酒類を置きその場で飲ませる。時たま食事もさせる場所。
19世紀までは、あまりいい意味で使われていなかったようです。
一般庶民の社交場で、作家、詩人の集まる場所でもあった。
①キャバレー、ナイトクラブ
②居酒屋(昔19世紀頃)


当時は、ギルドが組織され食の仕事を管理されていた。

職人、商人の組合が強力に働き、ギルド内部の規制を持って、類似の商売の競合を法律で禁じて、自分たちの利益を守る。
Boucher ブーシェ 牛、仔牛、羊を屠殺して売れる権利あり。
Tripier トリピエ 臓物を売る。
Chairecuitier シェルキュイティエ 豚、そのほかの肉をパテ、ソーセージーハム等の加工品にして売れる。豚の屠殺権利が無い。
Traiteur トレトゥール あらゆる肉の種類をラグーという調理法で、ソースと一緒に出すことができる。
Rôtisseur ロティスール ロティした肉はどんな肉でも売っていい。ラグーではダメ。
*ロティ 調理方法で、ローストの事。オーブンを使って熱風で蒸し焼きにしたもの。
*ラグー 調理方法で、肉の煮込み料理。煮汁はソースとして使える。