2012年2月29日水曜日

フランス料理の歴史 ~国王の給仕人

国王に料理を出すのに、
軍隊をモデルにされた組織で行われていた。




国王の食事担当官吏

侍従部長官 (最高責任者)     Grand Maître de la Maison du Roi

給仕長       Maître d'Hôtel

パン職人長          Grand Panetier

 飲物係長       Grand Échanson

肉切り分け長        Grand Écuyer Tranchant

肉切り分け係        Écuyer de Tranchant

給仕侍従      Gentilshommes Servants

料理長                 Écuyer de Cuisine

食膳係                 Officier de Cuisine

召使い                 Laquais 


*これらは全て貴族たちで構成されていた。

貴族にとって、最高の栄誉であり、王の側で控えられることが一種の権力であった。

2012年2月21日火曜日

フランス料理の歴史 ~じゃがいも伝道師。不屈の精神の持ち主だ。

Antoine-Auguste Parmentier(1739-1813)



アントワーヌ=オーギュスト・パルマンティエ




「パパス」または「パタート」の名で呼ばれていた

南アフリカ原産のじゃがいもは、

他国に比べてフランスでは普及が遅れていた。



初めに1535年頃、スペインに伝わって、

イタリア、スイス、ドイツに伝わっていった。

しかし、フランスで受け入れられなかった。



じゃがいもの形が嫌われたり、味が薄く単品では好まれなかった。

庶民には、肉も、塩も、油も買うことが難しく

当時の一般的調理方法がフライが主流で

食の習慣を変えることが難しく、障害となっていた。



ちょうど飢餓が慢性化していた時で貧しい庶民にはパンも買えない有様だった。

その代替え食としてパルマンティエは庶民を救うべくじゃがいもの普及に一生を捧げた。



国王ルイ16世よりパリ郊外のサブロンとグルノーブルの土地賜った。

ここにじゃがいもを植えて、昼は大げさに看守の見張りをつけた。

夜にわざと警備を外してじゃがいも泥棒を見ぬふりをした。

国王は、人民の食料として役立つと分かり、

じゃがいもの花束を宴席で飾らせたり、

じゃがいものメニューを作らせ供させたりした。



王の食事を真似するようになって普及し始めた。



じゃがいも伝道師。不屈の精神の持ち主だ。



<パルマンティエの名前の付いた料理>

アッシェ・パルマンティエ(Hachis Parmentier)

フランス家庭料理で、牛挽肉とマッシュポテトの重ね焼き。



ポタージュ・パルマンティエ(Potage Parmentier

じゃがいものクリームスープ

2012年2月20日月曜日

フランス料理の歴史 ~18世紀

フランス料理の歴史~ 18世紀

昔は朝食?今は夕食?



dîner[dine ディネ]

夕食、晩餐、正餐デジュネ déjeuner

意外ですが、元々、古くは朝の食事を意味していた。

déjeuner デジュネ(=断食をやめる)



ミサの後の午前7時に取る食事だった。

夕食はスペと呼ばれ、時代が進むと共に遅くなる。



14世紀後半 シャルル5世の頃では、午前9~10時頃だった。一日で重要な食事のひとつになっていた。

17世紀前半 ルイ13世    正午

18世紀    ルイ15世    午後2時頃

18世紀末  フランス革命後 午後5時頃

19世紀前半 ルイ・フィリップ王 午後6時頃

19世紀中盤から 午後7時頃

現在では、午後7~8時頃となった。

スペは夜食へと移動された。





18世紀は、宮廷の贅沢さが進む。



宮廷、ベルサイユの中での生活が

豪華・贅沢になるにつれて、

料理人たちは作る宮廷料理を

あたかも錬金術のような手法を用いて、

料理の質を向上していった。

それによって、フランス料理はヨーロッパの

中でも洗練さを増してゆき、

ほかの国々も追従してゆくことになった。

フランス料理の古典料理術の

基礎がこの頃出来つつあった。



18世紀の料理人は、錬金術のような探求を始める。錬金術的作業手順。「黒への作業」肉を何日か寝かせる。とか、肉をじっくり弱火で蓋をして煮込む。

「白への作業」アタールと言う錬金術用のカマドでゆっくり注意をして弱火で煮込んでゆく。



Munon ムノン 18世紀後半料理人。



18世紀フランス料理を代表する

料理書の数々を執筆した人物。

ムノン(Menon)の18世紀フランス料理文献 4種

『家庭料理』初版 1746年、

『料理長の技術』初版 1749年

『宮廷料理』初版 1755年、

『料理と健康』初版 1758年



『ブルジョワの女料理人(La Cuisinière Bourgeoise)』

(初版1746年、フランス)

チョコレートビスキュイが紹介されてる。


2012年2月15日水曜日

フランス料理の歴史 ~musse(ムース)、pure(ピュレ)

mousse(ムース)



材料をすり潰し、生クリームや、卵白を泡立てて

混ぜ合わせて、ふんわり軽い食べ物としたモノ。

製菓が多い。

ゼラチンを混ぜ合わせて適度に固めた冷たい食べ物がある。




pure(ピュレ)

ペースト

材料をすり潰し、ペースト状にしたもの。



17世紀、全て手作業で食品をすり潰し、

ピュレやムースを完成していた。



当時、プレシューズ(17世紀の才子・才女達、趣味の婦人)の

食べ物として、支持を受けていた。



噛むという品なく、高貴ではない動作を嫌い、

口に含み飲み込むだけで済むピュレとムースが志向に合った。

*フランス文学、古典主義。

2012年2月14日火曜日

フランス料理の歴史 ~17世紀に誕生。ラグーとソース



17世紀に誕生

ラグーとソース




ragoût


ラグー )

<語源> ragoûter 食欲を刺激する

         煮込み、ラグー

これからソースが派生する。

細かく刻んだ肉など(ミンチ状態も有る)煮込んだ料理。

それ自体をソースとして使う使い方。

ボロネーズソース(ミートソースの原型)

か、

煮込み汁をルーで繋いでシチューのソースとする。



sauce
 ソース 


<語源> ラテン語salsus 塩をした

      肉汁、ソース



ジュとクーリ



jus  ジュー

①ジュース、絞り汁

jus d'orange(ジュー・ドラジュ)

オレンジ ジュース

jus de citron(ジュー・ド・シトロン)

レモン ジュース

jus de 

légumes(ジュー・ド・レギューム)

野菜 ジュース



②肉の焼き汁(肉を焼いたときに出る汁・液体)、

煮汁(少量の水分で煮たときに出る汁・液体)

これらを

デグラッセ 
煮詰める )、

もしくは、トロミをつけて料理の

ソースとして使うことができる。

(量的には、少量のソースになる。)

jus de cuisson(ジュー ドゥ キュイッソン)

とも言う。



<参照>フランス料理の歴史 ~ソース

「煮込み料理の汁がソースになる 」

http://ameblo.jp/kaze-r1000/entry-11159487352.html



③だし汁

*量によって、呼び方が変わったりする。



jus(量的に少ない分量で取る場合)

jus de veaub ジュー・ド・ヴォー



fond(量的に大量に取る場合)

fond de veau フォン・ド・ヴォー



coulis
  クーリ  

fondをとる肉、骨に手が加わり、

野菜、香辛料、ハーブ、

シャンピニオンなどを使い、

繋ぎにパンを使用して

現代に近いものが出てきた。




2012年2月10日金曜日

フランス料理の歴史 ~素材の味がするように変わる

フランス料理の歴史 ~素材の味がするように変わる



17世紀に入り、今まで香辛料を大量に使っていたため、

素材の味が解りずらい料理から、

素材の味を尊重するように変化が起こる。



野菜なら、キャベツの味、玉ねぎの味が感じられるよう配慮されてゆく。



料理として洗練されてゆくのです。



この頃に、ソース・エスパニョールが登場してきます。

すべてのソースの母である。

フランス料理の歴史 ~素材の味がするように変わる


フランス料理の歴史 ~素材の味がするように変わる




17世紀に入り、今まで香辛料を大量に使っていたため、

素材の味が解りずらい料理から、

素材の味を尊重するように変化が起こる。



野菜なら、キャベツの味、玉ねぎの味が感じられるよう配慮されてゆく。



料理として洗練されてゆくのです。



この頃に、ソース・エスパニョールが登場してきます。

すべてのソースの母である。




2012年2月9日木曜日

フランス料理の歴史 ~ソース

煮込み料理の汁がソースになる




煮込み料理の汁を、香辛料などで風味付けをして

パン、粉、卵黄をつなぎに使ってトロミをつけるのが一般的だった。



やがて二つの新しいやり方が登場して、

①煮詰めて汁自体の濃度を上げてトロミを作るやり方になる。

水分量を減らすと粘性が増して濃度がつく。

②ルーが発明される。

脂肪分と小麦粉を混ぜ合わせて、液体に溶かして火にかけてゆっくり混ぜながら沸かして、デンプン質を糊化させることによって濃度が付く。

ルーは、シチュー(ホワイトソースと呼ばれるものソース・ベシャメル)カレーに使われている。

2012年2月8日水曜日

フランス料理の歴史 ~香辛料の価格が下がる。17世紀


香辛料の価格が下がる。17世紀 




貴族の香辛料の使い方として、

料理に高価な香辛料を惜しげもなく使用することで

一般市民との差別化を誇示し、香辛料の希少性が美食の上で重要な意味をもっていた。

高価なものを使うことによって、一般市民との差別化となってる。



しかし、市場に香辛料が溢れて供給量が勝ってくると、価格が下がり、貴族にとって高価ではなくなった香辛料の利用価値は下がっていった。



こうなってくると、料理の作り手としての変化が起こってくる。

今までは、貴族に出す料理はとにかく香辛料をふんだんに使えばよかった。

香辛料の利用価値が下がって、どのような特別な料理をつくるかが課題になった。

貴族の料理と一般市民の料理の差別化を図るため、調理法の複雑さ、料理人の知識、経験にかかってくるようになる。

2012年2月3日金曜日

フランス料理の歴史~ Olivier de Serres オリヴィエ・デュ・セール

Olivier de Serres オリヴィエ・デュ・セール(1539-1619)



1539年 ヴィヴァレ(現アルデーシュ県)のヴィルヌーヴ・ドゥ・ベール生まれ

1559年 結婚。妻がブラデルの領地を持参した。

      *この地が彼の農業への研究の場となった。




1600年に、1000ページを超える有名な「農業経営論」を出版した。


1694年までに19版を重ねた。


現代農業の先駆者、指導者。


アンリ4世の命によって、養蚕の 部分を刷り増した。






収穫量を上げるために、半休、半耕の二年ごとの輪作をやめて、


土地の4/3は常に耕作させていた。


トウモロコシ、水田、ホップ、野菜、果物など精力的に研究を進めた。

2012年2月1日水曜日

フランス料理の歴史 ~新しい野菜の登場


新しい野菜の登場




16世紀に入ってから、新しい野菜がフランスへ持ち込まれた。

ヨーロッパにおいて、大航海時代の影響です。



アーティーチョーク(Artichoke) 地中海沿岸原産。



カルドン  (Cardoon)  キク科アザミ亜科の植物。 アーティチョークの野生種



トウモロコシ 
1492年にクリストファー・コロンブスがアメリカ大陸を発見して、

トウモロコシを持って帰った。



トピナンブール(キクイモ )北アメリカ原産

トマト ナス科ナス属の植物。

じゃがいも 南米アンデス山脈の高地が原産。 イタリア、スペインを経由し、フランスで栽培されるようになった。

コーヒー ヨーロッパには、16世紀に伝わって17世紀中にヨーロッパ全土に伝わる。

チョコレート クリストファー・コロンブスがスペインにカカオがもたらされた。